「オフグリッド体験施設」のご利用につきまして

株式会社saiブランド(糸満市名城565)は、未来に美しい環境を引き継いでいくため、オフグリッド事業を推進しております。オフグリッドとは電気、上下水道など既存のインフラ(グリッド)に極力頼らず、太陽や風、地下水などの自然エネルギーを積極的に活用し暮らすための技術です。
名城は自然に恵まれた地域であり、この自然の力を体感できるよう国産天然木材を使用したテラスを整備し、テントを張りオフグリッド宿泊体験ができるようにしました。

テラスに張ったティピーテントとsaiブランド社屋(右側の木造建屋)

日中は目の前に広がる名城ビーチ(徒歩3分)のベースキャンプとして、夕方にはサンセットを眺めながらBBQタイム。夜は省エネやご近所への迷惑防止のため、22時に消灯とさせていただきますが、夜空に瞬く星を眺めながら静かに談笑の時間をお楽しみください。
日中にソーラーパネルから貯めた電気を夜に調理や照明に使い、「大自然の中で自然エネルギー の可能性について考える」機会になってほしいと考えています。

また海辺の環境を体感できるよう各種オプショナルツアーも用意しています。ただし、本施設はキャンプ場やツアー会社としての登録は行っておりませんので、あくまでも自己責任によるオフグリッド体験施設の利用ということをご了解ください。

テントはティピータイプとドームテントを用意しています。

レンタル料金表

種別内容料金
テントティピーテント(オガワ ピルツ15(6~8人用)15,000円
当日13時~翌日12時まで
ドームテント(2~3人用)10,000円
当日13時~翌日12時まで
テントオプションラグ750円
ヨギボーMAX1,500円
電源AC100Vドラムリール(50m)1,500円(電気料金込み)
ポータブル電源+ソーラーパネル2,000円
照明小型ランタン(充電式)500円
屋外用大光量ライト(AC)750円
調理器具ウェーバーチャコールグリル47cm2,500円(洗浄費別途)
炭(3kg)600円
ソーラークッカー ECO作5001,000円
電気ケトル500円
プラスチック製ディッシュ(皿)+割りばし500円
クーラーボックス500円
食材カネヨシフーズご希望の食材をカネヨシフーズ様にご注文ください
屋外シャワーソーラー発電井戸水揚水500円
トイレsaiブランド社屋内(※)

※1泊につきご利用者1名につき1袋のゴミ袋をお渡しします。周辺の集落、ビーチでゴミ袋を満タンまでゴミ拾いをしていただいたグループには、上記レンタル料金を50%オフとし、返金させていただきます。

※トイレは隣接するsaiブランド社屋内のため、ご利用時には声をおかけください。

ツアー料金表

種別内容料金
SUP(スタンドアップパドル)ビギナー講習(2時間)5,000円
夏期(7~9月)水着をご用意ください
ウミガメウォッチングツアー 10,000円
夏期(7~9月)水着をご用意ください
クルーザーヨット体験クルージング
30ft SORA号:ケンクルーズ
糸満フィッシャリーナ発着
シーズン、人数により応談
津堅島クルージング
36ft Nydell号saiブランド
与那原マリーナ発着

シーズン、人数により応談

※本サービスは株式会社saiブランドのCSR(社会貢献)事業の一環として提供させていただいておりますので、オフグリッドに興味関心のない方の申し込み、利用はご遠慮ください。

※レンタル用品、ツアーはご利用希望日の10日前までにお申し込みください

※前日、当日にキャンセルをした場合は100%の料金をお支払いいただきます

※料金は銀行振り込みによる前金制となります

クラシック チャレンジ


パネライ(PANERAI) 「パネライ クラシックヨット チャレンジ 2017」開催 | ブランド腕時計の正規販売店紹介サイトGressive/グレッシブ

高級時計メーカーのパネライが「パネライ・クラシックヨット・チャレンジ」というヨットレースを主催していた。華麗な木造のヨットが300隻以上集まり、カリブ海、米国東海岸、英国など様々な地で開催されていたようだ。最近は分からないが、2018年までは開催されていたようだ。船齢100年を越える船たちの帆走する姿は優美という以外の形容は難しく、古き良き時代を思い出させてくれる。

時計メーカーのこのような取り組みは意義が大きいと感じる。クラシック=時の経過とすれば、その時を正確に刻む時計の役割は分かりやすい。
パネライのアンジェロ・ボナーティCEOは、クラシックヨット・チャレンジについて「それはパネライにとっての好機だった。パネライは海から生まれた。だから我々は海に留まり、海の持つポジティブな面を生かさなければならない。そう考えると、我々がパネライというブランドをプロモートすべき場所が見えてくる。クラシックヨットこそはまさにその場所だった。なぜなら、そこには人間の歴史が凝縮されている。我々が長い目をもって投資する理由はここにある。船に興味を持たない人でも、木で造られた美しいヨットには心を奪われる。それは歴史が夢を見させてくれるからだ」と語っているそうだ。
船だけでなく時計もクラフトマンシップを代表するような品物だ。良いモノを作り続けるのは難しいものだ。激変する時代を乗り越え、消費者の価値観にブレないものをアジャストしていくのは技術的にも経営的にも本当に難しいことだと思う。

saiブランドでは、オフグリッド事業のフラッグシップとして1988年製の古いヨットのレストアに取り組んでいる。パネライ・クラシックヨット・チャレンジの出場艇に比べればまだまだ取るに足らない船齢だが、36年前の船だ。船内のレストア作業ではチークの無垢材の品質に驚かされる。湿度の高い船内で狂わずそこに居続け役割を果たしてくれている信頼性と存在感は、現代の構造材に木目シートを貼ったそれとは明らかに違う。チーク材はインドから東南アジアが原産の落葉高木で、世界三大銘木として知られ、古くから客船や高級列車の内装や高級家具、床材として使われてきた。世界的に人気の木材だが、現在では多くの地域で伐採が禁止され、流通が激減。入手は容易ではなく、代替えとなる新素材が台頭し「本物」は姿を消しつつある。一見、本物に見える素材も金属であれば合金化され純度が落ちる。木材であればリアルに凹凸を再現したシートで全く別物だ。このような代用新素材の方が機能的である場合も多いのだが、時を経た信頼感と存在感は皆無で、新素材は出来上がった時が最も美しく、経年と共に劣化をしていく。身近な例を挙げると住宅が分かりやすいだろう。昔からある日本家屋は木材や土といった天然素材が多用されているため、時を経ると「深まる」。一方で現代の住宅は新築時はキレイだが、新素材が多用されているため、時を経ると劣化が進む。もちろん天然素材を「深める」ためには適切なメンテナンスが必須でそれなりの労力と愛情が必要だ。

ヨット・モーターボートの雑誌Kajiの5月号に「クラシカルヨットの調べ」という特集があり、興味深く読んだ。そこに上手にまとめられた言葉があった。
「所有しているのではない。つかの間預かり、継承する役目」
これは精神論だが、現代では入手が困難な素材や当時のクラフトワークを次世代に継ぐための今。と考えれば得心できる。実はその「今」が大切で、ヨットであれば海に出る楽しさ、家であれば寛ぎなど、モノ本来の目的を果たせるように手をかけ(メンテする)ながら、それを受け継ぎたいと感じてくれる次の世代と価値の共有ができればよりよい状態で引き継がれ、そしてクラシックとなっていく。

このサイトは旧友TAKAとの共筆だが、毎回、打ち合わせなしの不定期で書いている。お互い東京から沖縄、ハワイへと移住し、そこで見聞したことをそれぞれのメガネを通し何となくオフグリッドというテーマに合うものを書いてきた。当初は各地のオフグリッドの要素技術や自然の力を利用した住まい方などを紹介しようと始めたのだが、最近の記事を読み返すと「温故知新」や「もったいない」や「生き方」などがサブテーマにあるような内容が多い。海外勤務の長かったTAKAの記事は、それをワールドワイドな視点で見ていて面白いので、このまま打ち合わせなしで続けていきたいと思う。
そんな我々がこのサイトでお伝えしたいことは、現代において経済ばかりを優先したモノづくりや、見せかけだけの「安全・安心」を謳う世の中では地球環境は悪化するばかりで、一歩立ち止まって振り返り、未来に何を継承していくかを考えたいということなのかもしれない。6月にTAKAがハワイから沖縄へやってくる。このことについても話をしてみよう。

vol.17 「この黄、なんの木、気になる樹」

花盛りを迎えたトランペットツリー(和名 コガネノウゼン)。その木材はハードウッドの代表格イペ。

 日本といえば桜と富士山と言わんばかり4月はインバウンドでたいそう賑わったそうだ。季節感の無いハワイに住んでいると、これまで暮らした国々の春の風景が懐かしい。この時期、オランダではチューリップが一面の畑に咲き誇り、ドイツでは林檎の木が白い花を咲かせ、ポルトガルやメキシコシティではジャガランダ(ハカランダ)の紫色の並木道に目を奪われた。カリフォルニアに居た頃、郊外のアーモンド畑の花盛りは、まるで青森の津軽平野そのものだと感じたものだ。郷愁を誘うというのか、海外に住んでいると折に触れ日本の原風景を思い出したりするものだ。

 自宅から勤務先である大学への道すがら、並木道に黄色い花が満開の時期を迎えた。密集したラッパ状の花をつけた樹木が2マイルほど続いている。桜のように花が咲き終ってから葉が出てくるのだが、樹によって咲く時期がまばらで、まばらに散っていく。このところ風の強い日も多く、咲いたと思ったら散ってしまった木も少なくない。南フランスで咲くミモザのような色をしているが、花弁はブーゲンビリアかフリージアのようで、その鮮やかな黄色はグラデーションではない。この原色とも思える黄色、そういえば子供の頃に好きだった黄色だと思い出した

 神戸に隣接した小さな街で生まれ育った僕は、共働きの両親のためか、祖父母と出掛ける機会が多かった。それは祖父の仕立ての洋服の採寸にお供したり、祖母の帽子の色合わせに出かけたり、その帰路にデリカテッセンでハムを買ったり、昔ながらの焼きたてのドイツパンを買って帰るのが楽しみだった。当時、外食は特別なものだったし、間食はほとんど許されなかったから、祖父母の用事についていくことで何か美味しいものを買って帰るという一連の時間が好きだった。桜といえば祖父の職場に近い造幣局、祖母の実家に近い御所の八重桜だったし、実家の庭には初春の梅や木瓜(ボケ)、春は泰山木(タイサンボク)や木蓮(モクレン)の白い花、初夏の藤棚、夏の朝顔といったパステルカラーの花ばかりだった。それなのに濃い黄色が好きだったのは、その祖父母と出掛けた神戸元町に咲いていた黄色い花のせいだと気が付いた。

 最初の日本人移民は1893年に遡り、1924年排日移民法成立まで約22万人がハワイへ渡って農地を開拓しコーヒーやサトウキビを育てた。相前後して1908年から1973年の移民船廃止まで25万人の日本人がブラジルへ海を渡った。1971年まで外務省管轄の神戸移住センターが港を見下ろす山本通にあり、移民船は神戸港から出航した。全国から集まった人たちが、ブラジルへ渡る前にポルトガル語教育を受け、渡航前の数日間を神戸で過ごしていた。これから生涯を過ごすだろうまだ見ぬ国への憧れか、センターから埠頭までの道すがらに植えられていたのがこの黄色い花を咲かせるコガネノウゼンだった。そうだ、幼少期に見た黄色、今私が見ているイエロートランペットツリー、そしてこの樹木は目の詰まった美しいハードウッドの代表格イペでもあり、ブラジルの国樹でもある。時や場所を越えて全て同じこの樹だとやっと気が付いた。

vol. 16 「ゆったり暮らす」

雨季で付近は冠水し停電した。水面に映る青空と我が家に見惚れるココロの余裕が必要。

 人生でだいたい四回の引越しを経験するらしい。それは結婚や転勤、マイホーム取得など人生の節目にあたることが多い。かくいう私も転勤に伴って数十回と引越しを繰り返しいつも借家住まいだ。その度に子供達は転校を余儀なくされ、国をも跨いできた。任地には必ずIKEAがあって品番を覚えられるほど同じシリーズを買い求め、組み立てた本棚に蔵書が収まるとそこが我が家になった。さすがに東京に戻った時はサイズが合わずニトリで揃えた。どれも手頃な価格でその時々に生活スタイルに合わせた暮らしを手っ取り早く手に入れることができた。駐在の場合、前任者から譲り受け後任する人へ譲り渡すモノも多く、そうやって天下の回りモン的生活を送ってきた。学齢期の子供が居るとデスクやカウチ、パソコンも必要だし、電圧が変わると家電も買い替えなくてはならず出費も大きい。それに新学期が始まるまでに用意しなくてはいけないので時間にも追われ、便利をオカネで買うことになっていた。

 ハワイへはパンデミックの中、赴任した。職場が大学ということもあり、ひとまず学生寮で寝泊りしながら仕事に就いた。すでに子供達は成人し米本土で暮らすようになったので焦ることはなかったが、いつまでも学生寮に居候するわけにもいかない。何よりも寮はアルコール禁止なのが私には辛かった。ホノルルの町以外、森か海か軍の施設しかない島暮らしなので住宅事情は宜しくない。苦労して見つけたのが今の平屋で、高い家賃の割に造りは安普請で今どき見なくなったジャロジー窓だ。ルーバー窓といったほうが伝わりやすいか、細長い何枚もの板ガラスが重なり、ブラインドのような構成となっているアレだ。昔、風呂場の窓がそうだった。角度を変えることで換気が出来るが、断熱性が悪く防犯上も宜しくない。それに横のルーバー窓に縦のブラインドは風が吹くとカタカタうるさい。利点といえば、割れた板ガラスを一枚でも替えることができるくらいだ。

 その平屋暮らしも2年が経った。最初のうちは コットと呼ばれるミリタリーで使う簡易ベッドに寝ていたし、キッチンがバーカウンターのように延びているので食事にも困らなった。これまでのように引越荷物を送るのも面倒だと思っているうちにお決まりの本棚はe-bookに置き換わった。 やがて近所のガレージセールを物色するようになり、お隣りさんの引越しを手伝ったらカウチやテーブルをもらった。センスのいい食器もニュージーランドからやってきた老夫婦から戴いた。最近の「目っけモン」は、ダイソンの掃除機で、掃除機を掃除するのが嫌になったという米兵から譲り受けた。分解掃除をしてみると、なるほどペットを飼っていたのか絡まった毛を掃除するとすぐに使えるようになった。こうして家電や家具がほぼ揃った。都会暮らしはせわしい。元来、やらなくてよいことでもやらなくてはならないと思い込んでいたのかも知れない。時にはゆったりと成り行きに任せると回りモンに出会える。

パスの整備

社屋からビーチへ抜ける里道にあった古く壊れたブロック塀。
これを使ってハルサー(農家)さんや歩行者が木陰で休憩できるベンチをつくり、ブロック塀にイラストを描き明るい雰囲気をつくろうと計画した。近所の人にこの塀(土地)の所有者の連絡先を聞き、何度か連絡をしたが電話にでることはなかった。そこでこの計画をご近所に相談すると「ここは昔、豚小屋でかなり前から誰も来ていないから好きにするといいさ~」と何人からかお言葉をいただいた。

里道の距離は約38m。ここに10mほどのロングベンチをつくった。
すると隣地の畑で作業をする農家さんが昼に休憩で使ってくれたりと、海辺で木陰が少ないエリアのちょっとしたオアシスとなった。快適なパス(小径)の完成だ。
しかし、 ブロック塀の向こう側には、 放置された期間を表すように野生の樹木が大きく成長し、その中には おびただしい量のゴミが捨てられていた。ブロック塀は それらを隠すように立っていたが、自身も老朽化が進み、一部が崩落し清潔感とは程遠いたたずまいを呈していた。

日陰のロングベンチをもっと気持ちよく使ってもらいたいと思い、絵本作家の友人にイラストを描いてもらうことにした。テーマは「空と海」だそうで、白く塗ったブロック塀をキャンバスに明るい絵を描いてくれた。
完成すると、道が明るくなったと評判は良く、このようなちょっとした工夫で風景を変えることができたことに満足をしていた。
緑に囲まれた明るい小径(パス)を歩くのは気持ちがいい。

整備が終わり、この風景が馴染んだある日、建設業者らしき人が訪れ、あのブロック塀とベンチを壊していいかと聞きにきた。
里道の所有者である糸満市からこの里道の管理をボランティアで行う許可を受けていたので、弊社は社会貢献としてベンチを設置し、イラストを描いたと説明すると、土地の所有者からブロック塀の解体と敷地内の樹木の伐採、雑草の除去を委託されたのだと業者は言う。ここで押し問答をしても仕方がないので、数日間をいただき、せっかくつくったベンチを撤去した。数日後、描いてもらったイラストごとブロック塀は解体され、成長していた樹木は伐採され、豚小屋があったと思われる場所に古い土間コンクリートが残る殺風景な土地になってしまった。
それから1年半が経過したが、元豚小屋の土地は相変わらず放置され、雑草が密生している。

弊社の社屋は里道に挟まれている。前述の里道は社屋から西側(ビーチ)へ抜ける道。反対側は東側にある車道からの進入路だ。この進入路も里道なのだが、こんなことがあったので、整備をするのに気が引けていた。

しかし台風や大雨が降ったあと、畑から水が進入してきて通路(里道)は水浸しになってしまう。また、社屋前面(南側)の畑を借りることができたことと、里道に接する東側の畑も同じ所有者だったこともあり、里道と畑の境界に石を置き、里道を嵩上げしたいと提案すると快く同意してくれた。

同意が得られたので、畑と里道の境界に防草シートを敷き、その上に琉球石灰岩を野面で配置し、里道を嵩上げするための土留めをつくった。

しばらく期間をあけ、縁石が畑の土に馴染み安定した頃、里道に小石で土盛りを行い転圧をかけた後、地元の砂を舗装材にして仕上げた。

しばらくすると、砂も安定し、野生の芝が根付いてくれるはずだ。近所の人は「どうせお金をかけるなら、コンクリートを敷いたらいいさ~」という。「コンクリート舗装にしてしまったら、東京と同じじゃない。こうやって自然舗装をすれば雨水も浸透するし、路面も熱くならないからね」と返す。

便利なものと環境に良いものは得てして違う。
サザンオールスターズのRelay~杜という曲の歌詞がいい。

♪麗しいオアシスが、アスファルトジャングルに変わっちゃうの?
♪未来の都市が空を覆っちゃっていいの?
♪わかりやすい言葉でどなたか教えてくれませんか?

東京でイヤだと感じたこと。
それを豊かな環境を残すこの場所で繰り返したくない。
ここを訪れる人たちに、少しでもそんなこと感じてもらえればいい。

世代を越えて

自宅の敷地に隣接する畑をお借りすることができた。
沖縄南部は風習を多く残しており、特に先祖崇拝からか、土地や建物はあまり他人に売ったり貸したりしていない。いい意味では昔から風景が変わらない。悪い意味では、居住者や耕作者が減少し、荒廃していく一方なのだ。件の畑も耕作者がおらず、ハウスの骨組みは錆が進行し、端には廃車や農業資材が放置されており、台風が来るたび心配をしていた。隣人として何もしないわけにはいかないので、定期的に草刈りや見えるゴミを拾うなどはしていたが、錆びた骨組みとは言え、他人の財産をいじることは憚られた。地主さんはそんなよそ者(移住者)の姿を見ていて、コイツは本気で移住したと認めてくれたのだろう、ある日、畑を貸してくれるという。 この土地に移住をして丸3年が経過したころだ。石の上にも3年という諺があるが、 本来の意味は、具体的な期間としての3年間を指しているわけでは なく、 「ある程度の長い年月や期間 」をいい、 『成功を願うなら一定の忍耐や辛抱が大切だ』『はじめはうまくいかなくても、しばらく我慢する覚悟を持て』という意味の格言や教訓としても使用されるそうだが、今回の場合、偶然にも3年という期間だった。
畑を借り、気になっていた端のゴミ溜まりを整理しようと、伸びたススキを刈り、伐根を進めると、夥しい量の農業ゴミが姿を現した。

ビニールパイプに刻まれた製造年から、昭和の時代に製造されたものだとわかる。50年以上経過し、劣化はしても決して分解されない物質だ。それを住処にするアリたちがこぞって逃げ出す。一度は大きなヘビ(アカマタ)にも遭遇した。これらを黙々と分別、撤去する作業を続けたが、アリの大群やヘビよりも、人間が遺したゴミの方がよっぽど気持ち悪く(気分悪く)感じる。分別作業から、どうやら地主の意に反し、ゴミ袋ごと投機をしていた輩がいたのだと気づく。ここ沖縄は亜熱帯気候ゆえ、植物の生長が早く、瞬く間にそれらを覆いつくす。当初気になっていた不法投棄物も数か月後には緑に覆われ、まったく視界に入らなくなるのだ。そうなると人は不思議なもので関心も薄れ、そのまま忘れ去ってしまう。このような事象に思い当たることはないだろうか。目の前の関心ごとも、他のことで視界が遮られると忘却の彼方へ葬り去られてしまう。 コロナウイルスもそうだし、埋め立て工事もこれと同じような行為だと思う。

東京で暮らしていた頃、毎晩、自宅前の道路を清掃車が走り、週に3回も燃えるゴミを回収してくれていた。見た目にはきれいな街だった。しかし回収したゴミはどこへ行く?夢の島、若洲、豊洲、有明。きれいな地名だけど、その歴史は?
同じことがこんな小さな島でも行われているし、個人レベルでもこんな畑の事情は散見される。
国連の発するSDG’sのもと、全世界でさまざまな取り組みがされているようだが、目先のことだけでなく、本質を理解し、世代を越えて取り組まなければ、未来のこどもたちに『良い地球環境を残す』どころか住む場所さえ奪うことに繋がりかねない状況だ。

僕はこの土地を先祖から引き継いだわけではない。都会からオフグリッドし、ここに来た。そして「石の上にも3年」が経過し、いよいよ本丸の目標を叶えたい。それは地域特性や未来の地球環境のことを考え、今の行動をつくること。そして、ここを訪れた人々に何らかの気づきを持って帰ってもらいたい。とても小さなことだが、この畑で行うことが、未来にとって大きな一歩になってくれればと思う。

vol. 15 「不便がゆえの贅沢」

凝った料理では無いけれど

 東京に暮らしていた頃、朝にアマゾれば夕方には配達され、居ながらして地球の裏側のモノでさえ楽しめた。生鮮品は近所のスーパーが即配してくれたし、OISIXは献立まで考えた食材が半加工して必要な分の調味料と共に届いた。配達料は無料か安価で、もはや近くのコンビニでさえ不便に感じていたのだから皮肉なものだ。

 転じてハワイの生活は極めて不便だが不条理では無い。特に食材は、人の手が加わると忽ち人件費が掛かり、姿かたちを変えると加工費が嵩み、さらにテイクアウトでさえチップが18%、スマイル0円などというサービスは見かけない。最近、カリフォルニアから上陸したファストフードのChick-fil-Aのバイトの時給は18ドル、日本円で換算すると2500円程度。週末にドライブスルーの受渡しのシフトに入ると4時間で更に100ドル以上のチップが手に入るという。時給に換算すると軽く5000円を超えてくる。結果、日本から見るハワイは物価が高いと短絡的に感じてしまう。いかに日本の常識が世界の非常識になってしまったのか、あの手の込んだラーメンが1000円で食べれる国はもはや世界の何処にも無くなってしまった。

 東京と同じように便利で合理的な生活をするなら、恐らく5倍以上のコストがかかる。所以、そんな調子に乗ったことは出来ない。外食の頻度は激減し、レストランのテイクアウトよりスーパーの惣菜コーナーを利用するようになり、更にファーマーズマーケットに通うようになった。肉は塊りだし、魚は丸ごと、野菜には土が付いている。小分けになっていない分、帰宅したら仕込みをしなくてはならない。そして少しずつ工夫して日を変えて食していく。新鮮なうちは、肉は赤身を残すくらいのレアな焼き具合で、魚は刺身で素材の味を楽しむ。

 ハワイには赤い塩と黒い塩がある。火山土壌の赤土や活性炭を混ぜた天日の海塩だ。フィンガーライムという木の実はライムの香りでレモンの酸味がある。ずっと昔にポリネシアからカヌーでやってきた同じルーツを持つハワイとニュージーランドは今でも近いから、魚屋にはいつも地元のマグロとNZの鮭が並んでいる。今日は迷ったけど鮪の半値のキングサーモンを買ってみた。切り身に黒い塩とフィンガーライム、皮はじっくり焼いて香ばしく、そして地元のサトウキビで造ったラムと戴こう。醤油や山葵が無くとも、なんとも贅沢な食事だ。

つまり、暮らし方。

R.I.P. Edo

2011年の東日本大震災が大きなきっかけとなった。
当時暮らしていた東京への人口密集や、そこへ絶え間なく電気や水を供給するエネルギー問題。人口が一拠集中することで、これまで考えられなかった災害や都市特有の問題、課題が指摘、想定されるようになった。そして訪れた地球規模のコロナ禍。

震災で被災した原発。廃炉に向けた途方もない工程と、これに伴い発生する処理水。コロナの鎮静とともに十分な説明も得ずに「IAEAの科学的根拠」を“日本の根拠”に福島の海にその水を放出させてしまった。福島に原発があるのはなぜ?福島の原発でつくられた電気を使うのはどこ?そう。首都圏に危険性の高い原発を立地することはできない。そのために首都圏から適度な距離が確保できる福島にある。ここ沖縄もそうだ。国内にある米軍施設の70.6%が沖縄県に集中し、その規模は県の総面積の約8%を占める。さらに台湾有事や北朝鮮対策として石垣島や宮古島、そして最果ての与那国島まで自衛隊の駐屯地が展開する。
福島の処理水も、沖縄の基地も、首都圏を、そして国を護るためだが、そこだけに負担を負わせて良いのだろうか。安全であるなら日本全土で均等に分担すればいい。世界的に見てもロシアの一方的なウクライナへの侵攻により戦争が勃発し、もはや二酸化炭素の抑制などどこ吹く風、物価上昇対策と称した予算をつけまくり、今や普通国債だけでもGDPの2.5倍という恐ろしい額に達し、インフレ抑制のための金利上昇さえできずにいる。

少し前、ヨーロッパのプロサッカーチームで活躍する日本人が言った。「もっと個を強くしなければ」。これはスポーツ界だけの話ではない。地球環境がこれだけ悪化しているのが明白なのに、それを他人ごととして眺めたり、誰かが何とかしてくれると傍観していては事態は好転するはずはない。冒頭の「きっかけ」は首都圏から沖縄の過疎地への移住という結果を導いた。自身をオフグリッドしたわけだ。この過疎地で暮らすことにより気づくことがある。ここも東京も同じ時間が流れているという単純なことだ。ここには徒歩圏にコンビニや駅はない。しかし、歩いて2分で行ける美しいビーチがある。東京時代にコンビニに通った数より、移住後、ビーチへ行った数の方が多いと思う。つまり、どう暮らすか。個人が地球環境に対して強い改善の意思を持ち、どうアクションできるのか。
国として 地方創生も大切な取り組みだが、中央の視点からそれを俯瞰するのではなく、具体的に都市へ集中する人口を分散させ、地方でも個々の人生を輝かせることができるような政策を見出し、環境バランスの良い国(チーム)をつくり出せれば、個はおのずと強くなるのかもしれない。しかし、環境問題を他人ごととして眺めていたり、遅々として進まない政策をあてにするのではなく、意識のある人々にはアクションを起こしてほしいと願うばかりだ。

vol. 14  「距離感って大切」

ハリケーンで倒れかかった電柱を添え木にした二本立ちの電柱

 ようやく終息したかに感じるコロナ騒ぎも2年半という長きに亙って、人々の動きを止めた。耳慣れない新しい言葉が次々と報道され、中でも「ソーシャル・ディスタンス」というのがあった。「社会的つながりから距離を置く」という本来の意味ではなく、「感染拡大を防ぐために相手との適切な距離を取る」と理解され、物理的に距離を空けることを意味した。確かに東京で暮らしていた時は、他人の息遣いさえ聞こえる通勤の電車内だったし、小さな会議室で長時間に及ぶミーティングも珍しいことではなかった。新幹線や飛行機に乗れば、隣りの人に遠慮しがちに肘掛けを使うことになり、普段から気を張っておかなければならなかった。その緊張が刺激となって活力と変われば良いが、多くはストレスを生むことになる。一方、ハワイの暮らしは無駄に広いと感じるほど、多くの場面で両手を広げても誰にも当たらない。東京では自分の空間だと思って居た車の中でさえ、今では籠の中の鳥だと感じるのだから不思議だ。

 オアフ島では民間人の暮らす住宅街と基地の間に約2マイル(約3.2km)のBuffer zone(バッファーゾーン)という緩衝帯がある。有事の際、軍事施設は一次的な攻撃対象となり、その巻き添えとならないよう緩衝帯が設けられている。基地内の住居は、木陰が嬉しい樹齢100年近くのモンキーポッドを囲むように兵舎が点在し、隣家との間には塀が無い。およそ100フィート(約30メートル)向こうの隣家の窓越しに人影を感じる。これも延焼や類焼を防ぐ工夫なのだ。その兵舎に入居した際、「どこまでが私たちの庭として使えるのか」という問いに、「建屋の中だけ」と聞いて閉口した。「塀が無いのに安全か?」という問いには「無いからこそ安全だ」と互いの眼を信頼することを説かれた。一見、無駄に思えるこの距離こそが、なるほど大切だとわかってきた。

 嵐が来ると電柱がよく折れる。その度に米海軍の部隊が手早く補修をしてくれる。コールタールを塗った昔ながらの木製の電柱を、コンクリート製や地下埋設に変える気は無いらしい。それどころか、折れた電柱を添え木にして一か所に二本立ちの電柱が多くなってきた。二本立ちは一本立ちより強度を増す。この場合、密接することが大事なのだという。

 転じて、曖昧な空間を挟むことで衝突を和らげること、密接することで強い関係を築くこと、どうやら人間関係にも通じた距離感だと気づき始めた。

Nydell(ヨット)のオフグリッド計画

建築物のオフグリッド化を計画する前に、建築物よりも規模の小さなヨットで様々なトライと検証を行おうと思う。まずは発電方法について考えてみよう。

①エンジンによる発電
ある程度の大きさのヨットは動力としてエンジンを積んでいる。原則的に港内では帆走が禁止なので、港外へ出て帆を揚げるまではエンジンで機走するのだ。
また長い距離を帆走ったり、夜間に帆走ったりする際には、オートパイロット(自動操舵装置)やレーダーなど、消費電力の大きな機械を使用するため、エンジンとセイルを動力として航行する「機帆走」を選択する人が多い。
ヨットのエンジンのほとんどは、構造が単純なディーゼルエンジンなので、軽油が燃料となる。電気自動車への需要が高まる一方、ヨーロッパを中心に環境対策が施されたディーゼル車が台頭している。これはBDF(バイオディーゼル燃料)など、軽油の代替燃料として、使用済みのてんぷら油等の廃食用油を原料として、メタノールと化学反応させて製造するもので、捨てられる油を回収し、燃料として使用するため、循環型社会の実現に寄与する燃料だ。
Nydellのレストアの回にも書いたが、新たな省エネ製品を開発、製造することも大切だが、古いものを使い続けた方が排出CO2ベースでは エコと言えるケースも多い。そこでNydellではBDFなど新たな燃料も意識しながら、エンジンによる発電も効率的に使うことを前提としたい。

②自然エネルギーによる発電
ヨットは風を動力として帆走る乗り物なので、帆を揚げたセーリング状態はとてもエコなのだ。Nydellは長さ12m、幅3.34m、総トン数10tという大きさで、家に例えれば1LDK+Sといった間取りで、トイレもシャワーも付いているので、十分に生活ができる広さがある。この大型トラックのような大きさのモノが風の力で動き、全世界、好きな場所へ移動できるのだ。ということで、ヨットはそもそも自然エネルギーである風を動力源としているのだが、ここでは自然エネルギーを利用した発電について。
ここまでの話で、風を利用した発電いわゆる風力発電という手段が頭に浮かぶ。また水の上を動いているのだから、波や水流を利用した発電も可能だろう。これらはまだ試していないのだが、プレジャーボートのオプション製品としてまだ一般化していない現状を鑑みると、これらは風や波、水流といったエネルギーでモーターを動かし発電するため、海独特の「潮」により錆が発生したり、塩分が固着したりすることが原因で、普及が進まないものと想定している。そうなると最も普及している自然エネルギー発電は太陽光パネルということになる。ヨットの上は天気さえ良ければ、セイルの影以外は日照条件はバッチリだ。何せ、周りに高い建物や樹木などない大海原がフィールドなのだから。現在、Nydellには200Wの固定式パネル1枚と、折り畳み式の160Wパネルを2枚積んでいる。これらすべてで発電をした場合、最大520Wとなるが、条件やパネルの状態を考慮し、30%程度の発電能力とした場合、約180Wの能力を期待することができる。

次に蓄電だ。オフグリッドで最も大切なのは、まず使用する電力を最小限にとどめることだ。普段と同じような生活を望むのであれば、自然エネルギーのみでの暮らしは無理だろう。ヨットにはエンジンを始動するためのメインバッテリーと、照明、加圧ポンプ、無線・オーディオなどの電力を賄うサブバッテリーで構成される。エンジンにより発電された電力はメイン、サブの順位で充電されていく。Nydellではメイン、サブに4基のマリン用バッテリーを、さらにバウスラスター用に2基と計6基のバッテリーを搭載している。まだ、全体的に電気配線を見直していないので、これらは配線の整理にとどめ、後日、効率的で安全な回路に再構築することにした。

まずオフグリッドの第一歩として、太陽光パネルで発電した電力をどこに貯め、何に使うのかを整理する。ここ沖縄はとにかく気温が高く、熱中症対策のためにも何より優先すべきは冷蔵庫と判断した。飲み物はもちろんのこと、食材を保存できることでクルージングライフにも愉しみが増える。次に電子レンジ。短時間に加熱調理できるのが魅力で、何をつくるかにもよるが、ガスオーブンよりもはるかに省エネになることも多いようだ。Nydellでは、冷蔵庫、電子レンジを「贅沢家電」と分類し、これを自然エネルギーで発電した電力で賄うこととした。蓄電池にはEcoFlow社のDELTA MAXを導入。2,016Wh の大容量 で AC出力2000W (瞬間最大4200W) を発揮するポータブル蓄電池だ。先日、DELTA MAX に冷蔵庫をつないで消費電力をモニターした。

65W程度の電力なので、89%の蓄電量で19時間も稼働し続けられる。このDELTA MAX が優秀なのは、太陽光パネル、12V DC(シガーソケット)、ACの各種入力ソースから同時に充電ができることだ。例えば機帆走している時に、ソーラーパネルを接続している状態でもさらに 船内のシガーソケットを差し込めば、ダブル充電が可能なのだ。桟橋に着岸している時は、陸電(陸上から専用ポストに100Vが供給されている)からACが供給されており、常に充電ができるので、離岸する時は100%の蓄電状態で、それをクルージング中に消費していくことになるが、ソーラーパネルやエンジンからの供給量が消費量を上回れば蓄電量は減らない。なのでクルージング先のアンカリングポイントや漁港に入港しても、蓄電範囲内であれば電子レンジ等の贅沢家電を使用することも可能になるのだ。Nydellには3000Wのインバーターが付属していたが、
DELTA MAX を導入することで、インバーターは使用しなくて済む。これは系統に組まれたバッテリーに過剰な負荷を強いることもなくなり、いいことづくめなのだ。

そして、さらなる贅沢な試み。蓄電池と同じメーカーであるEcoFlow社製のポータブルエアコン「WAVE2」だ。吸気パイプは操舵室へ、排気パイプはエンジンルームへ、排水は船底ビルジへと、それぞれ配管し、 稼働すると吹出口から冷気が流れ出した。ただ、適用できる面積が10㎡程度のスペースということなので、船全体を冷やすまでは至らないが、酷暑の中で船内作業を行うには十分な能力かと思う。また1泊程度のクルージングであれば、係留先で寝苦しい思いをしなくて良いのは助かる。
EcoFlow社の製品は、 DELTA MAX と同様、iPhoneにダウロードした専用アプリでリモート操作ができるのが良い。表示を切り替えれば現在の消費電力を把握できるのも良い。

今回紹介したようにヨットの電気系統内にあるバッテリーとは別に、出力の高いポータブル電源を用意することで、仮に系統内のバッテリーがダメになっても、陸電ソケットに、ポータブル電源を接続することで、系統を復旧できるというメリットも得られる。

このようにヨットの電力オフグリッド計画は少しずつ進みつつあるが、前述したように
オフグリッドで最も大切なのは、まず使用する電力を最小限にとどめることだ。普段と同じような生活を望むのであれば、自然エネルギーのみでの暮らしは無理だろう 。これを実現する場合、自身のライフスタイルや生活時間さえ見直す必要がある。
例えば早朝の涼しい時間に体を動かす労働をし、日中、ソーラーが発電してくれている時間に大きな電力を使う機械(洗濯機、掃除機等)を動かし、日が落ちたあとは照明を落とした部屋でのんびりし、早めに就寝する。ここまで徹底すれば自然エネルギーだけで、完全オフグリッドした生活も可能かもしれないが、便利な家電製品や、ICTに包囲された現代の生活では適度にバランスを取りながら、不便を愉しんで暮らすことが私たちが地球に対してできることなのかもしれない。