vol. 33 「東に雨、西に風」

長く延びる影。乾いた芝の向こうに、いつもの朝が始まる。

 僕が子供のころ、ギラギラと暑くなる前の夏休みの早朝、眠い目をこすって近所の小学校のラジオ体操に通った。毎日、スタンプがたまるのが嬉しくて皆勤賞を目指した。うっかり寝坊してスタンプが途絶えると、次の日から途端に行く気を失った。達成感を得るための努力はできるが、できないとわかるとやる気も失せるというものだ。皆勤賞の景品を目標にするのは吝かではなかったが、毎朝体を動かすこと自体が目的になっていたなら、続けられたのかもしれない。

 そして今、近所では毎週土曜の朝5時、スピーカーから爆音とともにホイッスルが鳴り響く。シンセの電子音とカラダに響く重低音、音楽が盛り上がったところで3分ほどでフェードアウト。一瞬の静寂に体温の上昇を感じる。そしてまたホイッスルが鳴ると巨大なタイヤをひっくり返す。ひとりでは無理で、何人かでの共同作業。ふたりで駄目なら3人、4人で2度、3度、ひっくり返すと再び静寂が訪れる。すでに息が上がり、水分補給は必至だ。セッションと呼ばれる2~3分のメニューを自分のやりたい時間だけ繰り返す。猛者は10回ほどのセッションを行う。皆が大汗をかいて6時には終了。その時間内なら好きな時間に来て、好きな時間に帰って良い。スタンプなくとも、参加者がカラダを動かすこと自体を楽しんでいる。

  日本では 全員で同じ時間に同じ体操をし、 同じことを均等に分け合う「平等」が重んじられるが、アメリカでは一人ひとりの事情に応じた「公平」が求められる。たとえば、 職場でピザを注文する際、何人分かとは聞かれるが、何等分かとは聞かれない。6人分と答えると、なんとも中心を通らない不平等なカットでピザが届く。小さいピースと大きいピースでは倍ほどの量の違いがあったりする。6人の腹具合が同じなことはない。お腹のすいている人は大きなピースを食べればよい。これがアメリカの公平なのだ。だから、エクササイズだって個人によってメニューは違っていい。

  このところの貿易風で島の東側では雨が降り、他方、西側では乾燥が続いている。枯草が強風で擦れ合って自然発火し、野焼きになることもある。住宅へ延焼する恐れがある時だけ消防が消火にあたり、それ以外は自然の営みに委ねられる。島暮らしにとって水は貴重だ。一方で、晴天率の高い西側では太陽光パネルが効率よく発電している。島全体として見れば、東は水を蓄え、西は太陽の恵みを受ける。それぞれが異なる役割を担いながら、一つの島を支えている。もし自然が平等を求めるなら、東にも西にも同じ量の雨が降らなければならない。しかし現実はそうではない。雨は東に降り、西には陽が射す。均等ではないが、不公平とも言い切れない。

 考えてみれば、人間社会も同じかもしれない。子どものころのラジオ体操は、皆が同じ時間に集まり、同じ体操をすることで一体感を生み出していた。誰もが同じ動きをするから分かりやすく、参加しやすい。そこには平等の良さがある。土曜の朝のワークアウトでは、小学生もいればムキムキの退役軍人もいる。体力も年齢も経験も違う。全員が同じことをしたら、誰かには簡単すぎ、誰かには過酷すぎる。だから、それぞれが自分に合った負荷を選び、自分なりの汗を流す。そこには公平の考え方がある。

 また今日も遠くでホイッスルが鳴る。東に雨を降らせ、西に風を吹かせながら、この島は静かに循環している。 そして僕は、水道の向こうに雨を見て、コンセントの向こうに太陽を見る。 オフグリッドの面白さは、こうして普段見えないものが見えてくることかもしれない。

投稿者: TAKA

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20数年暮らしてきた。 40年近いメーカー勤務をオフグリッド、 2022年ハワイ・オアフ島へ移住し、 グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。今は大学経営の一翼を担い、若い学生たちが世界で活躍できるよう導いている。