vol. 31 「珊瑚色のドアの向こうに」

塗り替えられた物置の扉は珊瑚色。ドラえもんの秘密道具を彷彿させる。

 我が家は築百年ほどのミリタリーハウスである。大日本帝国海軍が真珠湾に奇襲攻撃したあの日、この家は士官ハウスだったらしい。歴史というものは、ときに建物に沈殿する。断熱はゼロ、木造平屋、敷地内の電柱はいまだにコールタールの塗られた木製だ。キッチンのストーブこそ新しくなったが、全体は無骨な軍仕様のままで、それは合理的で、飾り気がない。それでいて壊れない。なぜなら、定期的にNAVFAC(米海軍施設管理司令)がやってくるからだ。ソユーズが半世紀を超えて飛び続けるのと同じ理屈で、この家も旧態依然とした施設で百年経っても健在だ。古いが整備されている。人間もそうありたい 。

  最近、十年ぶりの外装補修で、物置の扉がコーラルピンクに塗られた。最初は違和感があった。何より軍用住宅にピンクは似合わない。しかし新しい仕様書で決まっているという。通達は、ときに個人の美意識を軽々と越える。軍の世界では、美とは主観ではなく規格である。感性より整合性、好みより統一性、そういう世界のはずだ。だが、ふと気づく。丘の上のトリプラー陸軍病院も、ワイキキのロイヤルハワイアンホテルも、同じ色を纏っている。ひとつは兵士を治療する場所、ひとつは旅人を癒す場所。戦争の記憶の上に、柔らかな色が塗られている。この色は珊瑚の色であり、夕陽が海を染める色だ。濃い緑の捕色として視界を和らげ、呼吸を深くさせる。規格として選ばれた色が、結果として癒しの色でもあったとすれば、それは合理主義の中に潜む配慮である。規律の果てに、人間への優しさがあるとは、なるほど 。

 そして「どこでもドア」を思う。扉を開ければ、その先が目的地になるという、あのひみつ道具。僕は長いあいだ、現実のどこでもドアを使ってきた。地球何十周ものフライトで百数十か国へ飛び、搭乗口をいくつもくぐった。辞令は紙切れではなく、ひとつの扉だった。開ければ次の人生が待っている。不安はあったが、ワクワクが少し勝っていた。だが、どの扉の向こうも予想外だった。成長を期待すれば危機が訪れ、順風を思えば逆風が吹く。それでも悪くなかった。扉を開けた瞬間のあの小さな昂ぶりを、いまも覚えているからだ。一方で、開けなかった扉もある。理屈をつけて手を離したノブ。人生は開けた扉の軌跡であり、開けなかった扉の影でもある。

  若い頃、僕は遠くへ通じる扉ばかりを探していた。いまは違う。いまは遠くへ飛ぶ時間より、この百年の家に戻る時間のほうが長い。庭はNAVFACが手配したガーデナーが整えてくれる。僕はそれを眺め、必要な手入れを少しだけ手伝う。物置の扉の向こうにあるのは、庭を整えるための道具と、週末に火を熾すBBQコンロだ。宇宙にもヨーロッパにも繋がってはいない。ただの日常である。だが、その日常こそが救済なのかもしれない。戦場から病院へ移るように、緊張から安堵へ移るための扉。この色は、どこへでも行く自由の色であると同時に、「ここでいい」と言ってくれる色なのか 。

 そして今日も僕はこの扉を開ける。ほんの少しだけ、胸が高鳴るのはあの感覚かもしれない。百年の家は、どこか世間から半歩ずれたコミュニティに佇んでいる。巨大なネットワークやマーケットの波から少し距離を置いた、ささやかなオフグリッドの感覚。常に接続されていなくてもいい。すぐに世界と繋がらなくてもいい。近くのビーチを散歩し、夕陽の色を眺める。それだけで十分だと思える瞬間がある。どこへでも行ける人生よりも、ここへ戻れる人生のほうが、少しだけ豊かだ。世界を巡っても、最後に戻るのはここなのか。珊瑚色の扉は今日もそこにあり、僕をどこかへ連れていくわけではない。だが、扉の前に佇む自分は、少しだけ深い。

投稿者: TAKA

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20数年暮らしてきた。 40年近いメーカー勤務をオフグリッド、 2022年ハワイ・オアフ島へ移住し、 グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。今は大学経営の一翼を担い、若い学生たちが世界で活躍できるよう導いている。