
YUKIは、自身が立ち上げた会社からオフグリッドできずにいる。僕は大学卒業後、新卒で入社したメーカーからオフグリッドした。ただ、いずれも仕事一途な人生から少し距離を取り、沖縄やハワイで暮らしている点に大差ない。彼は勤めていた会社からスピンアウトして今の事業を始め、僕は勤めていた会社の成長と自身の成長を、結果的に同じ時間軸で歩いただけだ。それぞれの生き方には芯があるようにも見えるが、実際は自分たちの気に入らないことをしなかっただけかもしれない。もっと別の道もあったのだろうが、今さら検証しても意味はない。変わらない自分たちが、そこにいる。
僕は彼より一足先に還暦を迎え、級友たちと会う機会が一気に増えた。昔から連絡を絶やさない人間というのはいて、これだけ転々としていても声がかかるのはありがたい。僕は小学・中学の一貫校だった。六歳から十五歳までを共に過ごした仲間がいる。その後の人生で、家族以外と九年以上を共有することはほとんどない。思い出話は尽きないが、記憶を照らし合わせると食い違いも多い。当事者であっても、記憶は都合よく書き換えられる。いまさらそのズレを訂正しようとする者はいない。
最近、ミシシッピ州の小さな街に暮らす一般女性、テリーシャ・ジョーンズが、楽曲制作を始めて三か月でビルボードのヒットチャート一位を獲得したという話を知った。その曲をR&Bとして歌い上げる黒人女性シンガー、ザナイア・モネも話題になっている。調べてみると、彼女は実在せず、テリーシャが人工知能で作り出したアバターだった。それがカリフォルニアのレーベルと約五億円で契約したという。テリーシャはインタビューで、幼いころから音楽が好きだったと語っている。もはやその言葉が事実か物語かは重要ではない。価値はすでに、生身の人生だけを必要としなくなった。
そういえば小学校の発表会で独唱していたOはオペラ歌手になり、吹奏楽部にいたMはプロのオーボエ奏者になった。謝恩会を仕切っていたWは大手証券会社で経営コンサルをしている。六甲山のキャンプリーダーだったTは大手重工業の執行役員となり、鷲を追っていたUはテレビ局のカメラマンだ。気象予報が得意だった僕は、今日もハワイの空を見上げている。幼いころに形づくられた何かは、形を変えながらも確かに今につながっている。時代が変わり、価値の置き場が揺らいでも、人は結局、居心地の良い場所を求めている。
人生におけるオフグリッドとは、どこかへ逃げることでも、何かを捨てることでもない。ただ、自分が気に入らない生き方に、最後まで居座らなかったというだけの話だ。それが芯のある生き方に見えるのだとしたら、たぶん、僕にはそうするしかなかっただけなのだ。