年に数回、子会社の取締役会等で東京圏へ行く。東京圏と表現したのは、生まれ故郷の横須賀や学生時代を過ごした静岡を含めてのこと。実家はすでに取り壊され、生まれ育った懐かしの地に行くこともなくなったが、頭や身体は、育った環境を記憶している。海がそばにあったので、泳いだり、潜ったり、散歩をしたり。いつしか、そこはヨットの聖地で、近所にあったセイル屋さんや船具屋さんが、のちに業界では有名な存在だったことに気づくのだ。
現在所有する1.5隻(0.5隻は共同所有の意)のヨットには、地元のセイル屋さんのセイルを使っている。そう。理屈ではなく。
羽田空港に到着し、都内を移動し、オフィスへつく頃には、すでに沖縄へ帰りたくなっている。そして毎回「よく、こんなところに長いこと住んでいたもんだ」と感じ、毒づくのだ。会議を終え、翌日には早々に駿河湾へ移動し、セーリングを愉しむ。会議とセーリングがセットの旅だ。セーリングをしながら、会議の内容を反芻し、持ち帰るもの、捨て去るものを分別する。
以前にも書いたが、僕のオフグリッドの原点は 自然エネルギーで帆走る 「ヨット」だ。装備は無駄がなく、壊れにくいように機構は極めてシンプルだ。刻々と変化する気象海象を見て、予測し、目的地までのコース、セイルプランを考える。同乗しているメンバーのスキル、数も重要な要素だ。そんなことを考えながら、ひとつひとつ結論を出し、目的地まで進んでいく。これは経営や事業と同じで、考え方のベースがここにあるのだ。

海に浮かぶ初秋の富士山を眺めながら振りかえった。
昨年の子会社の取締役会で、今期限りで役員(会長)を退任すると宣言し、了承された。
今回の取締役会の直前に、現社長からもう1期、役員を継続してほしいと相談があり、熟考の上に了解した。創業した責任は果たしたつもりではいるが、大きな一歩を踏み出す計画をサポートしてほしいと請われたら、簡単に「知らない」と捨て去ることはできない。
小さな頃からあたりまえにあったもの。
未来を考え、大切に育んできたもの。
オフグリッドしたくてもできないものもある。