vol. 29「海に出る前の八割」

在りし日のフォールズ・オブ・クライド号。今は沖合25マイルの深海に眠る。

 アメリカという国が生まれたのは、長い植民地時代を経た1776年のことだった。イギリスからの独立を宣言し、理想を掲げた若い国は、やがて憲法を定め、ジョージ・ワシントンを初代大統領に選んだ。まだ国としての骨格も定まらぬ東海岸の十三州の人々は、大西洋の風を受けて、新しい時代へと漕ぎ出していった。

 そのわずか二十年後、国家の威信をかけて一隻の軍艦が建造される。「憲法」を意味するコンスティテューション号。三本のマストに五十を超える砲門を備えた木造帆船は、海軍の象徴として1797年に進水した。米英戦争や南北戦争など幾多の戦火をくぐり抜け、独立を守り抜いた誇りを帆に受け、退役後もなお、ボストン港に浮かび続けている。二世紀を越えて今も航海できるこの艦は、もはや船というより、「国そのもの」と言っていい。造り、守り、手をかけ続けた人々の情念が、船体の木目やマストの一本一本にまで染み込んでいるように思える。

 一方、その頃、太平洋の向こうでは別の物語が始まっていた。メキシコとの戦いを経てカリフォルニアが合衆国に加わり、ゴールドラッシュが西の地を熱くした。その時代の1879年に誕生したのが、イギリス商船フォールズ・オブ・クライド号である。四本マストの鉄製帆船はインドとの交易に活躍し、のちに太平洋航路に渡って、商船としてハワイと米本土を往復した。西へ向かっては雑貨や小麦を、東へ向かっては砂糖と人々の夢を乗せながら、海の道を結ぶ静かな労働者だった。

 ハワイはやがて共和国を経て、1959年にアメリカ五十番目の州となる。そして海を渡り続けたその老いた帆船は役目を終え一度は沈められる運命にあったが、人々の手によって大切に救い出され、ホノルル港で博物館船として静かに余生を送ることになった。けれど2024年、老朽化のため国家歴史登録財から抹消され、そしてついに今年の夏、沖合25マイルの深海へと静かに還っていった。船齢146年の航跡を閉じたその姿は、まるで時代そのものが潮の満ち引きとともに去っていくようでもあった。

 船というものは、ほかのどんな乗り物よりも、メンテナンスに生かされる。時代に合わせて姿を変え、修理を重ねながら、人の手と心によって命をつないでいく。僕が学生時代に外洋ヨットレースに夢中だった頃、オーナーがよく口にしていた言葉がある。「船は八割がメンテナンス、もう一割が回航、残り一割がレースだ」と。見えるのは、いつだってその最後の一割だけだ。けれど、見えない八割こそが、結果を支える礎になっている。仕事も人生も、きっと同じなのだろう。光の当たる瞬間の裏側には、静かな努力や準備、そして時に孤独な決意がある。

 今もボストン港に舫われる船と、ホノルルの海に還った船を思うとき、目に見えない八割の時間が、確かにそこに息づいていると感じる。そして人もまた、手をかけ、手をかけられながら、ゆっくりと自分の航路を進んでいくものなんだろう。

投稿者: Taka

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20年暮らしてきた。メーカーに30数年勤め、縁あって今はハワイ在住。グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。 座右の銘は、Life is a journey, not a destination. (人生は旅、その過程を楽しもうじゃないか)