
アウトドア好きの青年が、父の影響で狩猟を始め、獲物を芸術的に食すまでを描くドキュメンタリー番組『ミートイーター』をご存じだろうか。主宰するスティーブンは、その土地の守護者として選んだ獲物を守る義務があると語り、猟期になると全米各地を狩猟しながら渡り歩く。彼が繰り広げる猟師だからこその調理法は興味深い。鹿の心臓を羊膜脂肪で包み、直火で焼く。猪に似たジャベリナの肉を、胃袋に肉詰めして煮る。味わいを追求するのではなく、いかに命を全うするか、その一点にこだわる。今ではシリーズは邦訳され、ネトフリでも観られるようになり、久しぶりにアメリカンアウトドアの世界に触れたくなった。
アメリカのアウトドア人口は全世帯数の八割にも上り、特にキャンプはコロナ禍で一気に拡大した。対して日本は、登山やハイキング、海水浴といった日帰りレジャーに加え、屋外バーベキュー利用者を足しても二割に満たない。人口比で考えれば、およそ十倍の規模を持つアメリカのアウトドア文化は、彼らの日常に深く根付いている。キャンプにはオフグリッドの要素が詰まっている。自ら背負おうが、車で運ぼうが、必要な道具は自分で持ち込み、野山や海辺で食住を楽しむ。手間やコストを考えればスーパーで買えば済むが、 食糧をフィッシングやハンティングで現地調達することは、何よりもエキサイティングだ。
仲間に誘われ、アラスカへ出かけたことを思い出す。ケチカンの街から水上飛行機を乗り継ぎ、辿り着いた小島で、大物のサーモンやオヒョウを狙った。夜明け前、ガイドと共にアルミ製の小型ボートに乗り、大自然を満喫した。白頭鷲が空を舞い、鯨が潮を吹き上げる。夕暮れには仲間と獲物を焼き、火を囲んでバーボンを煽る。携帯やパソコンと無縁の数日間だった。漁期終盤だったせいかキングサーモンを釣り上げたのは僕だけだった。本来ならリリースすべきギリギリのサイズだったが、獲っても良いとされたその魚には、Smallest King Salmon Certificate(一番小さなキングサーモン賞)が贈られた。そして夜な夜な語り合ううち、次はハンティングに行こうという話になった。
まずは講習会に通い、試験に合格しなければ狩猟許可は得られない。基本は鳥獣駆除が目的だが、七面鳥、雉、水鳥、渡り鳥などのバードハンティングと、猪、鹿、エルク、熊といったビッグゲームに大別されている。捕獲した鳥は一羽ごとに、収入印紙のようなスタンプを購入しなければならず、制度は細かく整備されている。こうした大人でも煩わしいルールの上に、専門用語や銃器の扱いが重なるが、英語で学ぶ良い機会だと思い、当時十五歳だった息子と一緒にライセンスを取得した。
ハンティング仲間のブラッドにも息子がいて、その後、彼は自然への愛着が高じて国立公園局のレンジャーになった。うちの息子とは歳も近いはずだが、妙に大人びて見えた。聞けば、銃を扱うようになって急に成長したという。それならば、フィッシングにとどまらず、ハンティングにも本格的に取り組もうと、親子で足繁く通った。まるでゴルフの打ちっぱなしのようなハンティングレンジでクレー射撃を繰り返し、近場の雉撃ちに出かけた。ガイドはハウンドドッグ(猟犬)を従え、ライ麦畑の中央に立ち、左右に三名ずつ扇状に広がって前進し、少しずつ雉を追い込んでいく。雉が猟犬に見つかると、慌てて飛び立つ瞬間を狙って撃つ。撃って良いのは、前方両手を広げた左右120度、上下は15度以上の高さ60度程度までと厳格に決められている。散弾銃は双発で、撃ち損じれば残りは一発だけだ。 人間本来の生存本能が刺激されるのか、 空腹になるほど獲物を狙う感覚は鋭くなり、一発で仕留めたときの達成感は格別だった。獲った雉は足環の番号を記録し、その場で解体する。肉は持ち帰り、骨は猟犬の餌となる。持ち帰った肉はキャンプサイトで焼いたり、干したりしながら、少しずつ食べる。明日も同じように獲物が得られるとは限らない。だからこそ、その日に全てを食べ尽くすことはしない。
生きるための手段を、自分で選び取る。自然の中で獲物を追いながら、少しだけ自由に近づけたような気がした。その感覚は、不便をも楽しむどこか懐かしい昭和の景色に似ていて、現代社会から全てを断つのではなく、余計なものを手放すことで見えてくる。オフグリッドとは、結局、そういう引き算の結果なのかもしれない。
とはいえ、いま野山を駆け回って獲物を追うわけにもいかない。けれど、僕の冷蔵庫にも、ひとつ良い食材が眠っている。地元の漁師から先週もらった鮪が、冷蔵庫の中でほどよく水分が抜けてきた。さっそく、ハワイ産の芋で造った地元焼酎を片手に、オーブンで軽く温燻にして、ゆっくり戴こう。これは料理じゃない、猟理だ。