vol. 4「オフグリッドやってみた、ちょっとだけ」

簡易的な自動散水装置「水やり花子」(右の青バケツ上の白い円柱形)

 旅行や出張で不在がちな我が家。それに転勤を繰り返してきたこともあって、動植物を飼ったり育てたりすることを避けてきた。友人のブログで犬が出てきたり、水槽が出てきたりすると衝動に駆られるが、ましてやマンション住まいだと一時の迷いと諦めていた。そんな話を一軒家に住む友人としていたら、枯れてもいいから試しにやってみろとトマトの苗をもらった。友人曰く、バケツのような鉢に土を入れて、苗を一つだけ入れると夏にはトマトが出来ると言う。そう、出来ると言っただけで収穫が期待されるとは言わなかった。しかも、萎れたら水をたっぷりやるだけと、いとも簡単に言うではないか。「枯れてもいい、できればいい」というハードルの低さもあって、苗を片手にホームセンターで安い植木鉢と土を購入した。その金額だけでもスーパーで立派なトマトが買えるじゃ無いかとヨコシマな気持ちもあったが、「試し」なので植えてみることにした。

 程なく苗は成長し支柱が必要となる。こんなに伸びるなんて聞いてないよ、と思いつつも成長が気になってしょうがない。萎れるなんてもってのほか、せっせと水をやって育てた。ところが、用あって10日間ほど家を空けなくてはならない。せっかく伸びた苗を前に、もはや「枯れてもいい」と言う気持ちはなかった。「なんとかせねば」である。最初に思いついたのが、一緒に連れていくこと。しかし植木鉢を持って移動なんてありえない。近所に水やりを頼むことも一案だったが、元来、都会暮らしで付き合いが無い。自動散水装置を敷設するかとも過ぎったが、ベランダに水道が無い。この愛おしいトマトの苗が萎れ、枯れていくのかと思うと、家を空けてはならないとさえ思った。ピンチである。悶々とググっていると、あるものを見つけた。太陽光でポンプを作動させ、汲水散水できる簡易な散水ポンプだった。悩んでいる時間は無い、即購入、即設置と相成った。朝夕のポンプの作動、せめてこれで生き長らえてくれたらと願い出掛けた。5月に植えた苗はやがて立派なトマトを次々と実らせ、ひと夏を十分すぎるほど楽しませてくれた。来年は水道水ではなく、雨水が溜まる仕組みにチャレンジしてみたい。多少の不便とその過程を敢えて楽しむ、我が家のちょっとしたオフグリッドが始まった。

※水やり花子 https://funkstrading.co.jp/product/hanako

vol. 3「地産地消って聞くよね」

コッツウォルズ村には蜂蜜色の石を積んだ家並みが続く

 放牧が盛んなアメリカ内陸部は肉文化が中心で、日本には馴染みの無いところでは去勢した牛の睾丸を食す。BBQで焼いてイチジクのような半生の中身の「カウボーイ・キャビア」だったり、コロラド州にある地元ビールCoors(クアーズ)がスポンサーの球場では唐揚げの「ロッキー・マウンテン・オイスター」が有名だ。部位を想像しなければ、それなりの美味で、文字通りキャビアやオイスターの食感が楽しめる。日本にだって、内臓肉を焼く「ホルモン焼き」や鍋で炊く「モツ鍋」が好きな人も多い。いずれも、放るもん(関西弁で「捨てる」の意味)を食べるわけだから、余すことなく食材を食べ尽くす。

 イギリスにコッツウォルズという村がある。そこで産出される蜂蜜色の石を積んだ家並みは否応なしに調和し、現代社会では使い勝手の悪そうな造りでも人々は住み続けている。郊外の丘陵地には石垣に囲まれた農地が続くが、耕す過程でその土地から出てくる石礫を積み上げたものらしい。遠くに見える白い斑点は羊の群れが草を喰んでいる。エリアは特別自然美観地域に指定され、その素晴らしい景観に魅せられる人も多い。

 いずれも共通するのは地産地消の考えだ。そこで暮らすということは、そういうことなのかも知れない。グローバル化が進み、物流が発達した現代社会にあって、ポチれば何でも届く。遠くの土地で作られた電気がコンセントから供給され、蛇口を捻れば飲料水が出てくる。そんな便利な暮らしに、何かひとつでも地元のものを取り入れてみてはどうだろう。近所に農家が居なければ家庭菜園をやってみるのも手だ。それが無理ならプランターで育てるのもいいだろう。せめて携帯用のバッテリーの充電くらいソーラーパネルで出来ないものか。近所に湧水があれば、汲んで沸かして冷まして飲んでみるのもどうだろう。オフグリッドなんて私無理!と拒絶する前に、その地で得られる太陽や大地の恵みを受けてみるのはどうだろう。まずはハードルをグンと低くして出来そうなことからやってみてはどうだろう。

vol. 2 「オフグリッドって、どゆこと?」

下枝を伐採し、整備された静岡の杉林

 まるでポンデリングのような形に17色のカラフルな色使いのマークを見たことがある人は多いだろう。国連は人々と地球の繁栄のための行動計画として17の目標を示し、その13番目に「気候変動に具体的な対策 を」と掲げた。そして 2015 年にパリで開かれた気候変動サミットで地球の平均気温の上昇を抑えるとした。 世界の首脳たちは角を突き合わせ喧々諤々やかましい。やれ中国だ、インドだと、発展目覚ましい国を槍玉に あげてはいるが、日本の70−80年代の高度成⻑期を思えばわかりやすい。僕らが小学生の頃は「光化学ス モッグ注意報」が出ると体育の授業は中止され下校させられた。工場の煙は空を覆い、夜空に北斗七星が3つしか見えなかったことを覚えている。その後、日本は経済成⻑し生活環境は劇的に変わった。端的にいうと臭わなくなった。エアコンで部屋の温度は調節され、蛇口からは飲める水が出てくる。CO2排出と聞くと、車 の排ガスくらいしか思いつかない。クリーンでキレイな生活をしていると、気候問題と言われても自分自身が 地球を汚している実感が湧かないのだ。

 ところが、排出源を部門別にみると、家庭部門が14%も占めてい る。試算によると一般家庭の世帯あたりの排出量は年間5トンに及ぶらしい。しかもそのうち電気使用による CO2排出が7割を占め、ガス、灯油と続く。単純計算なら、電線を伝わってくる電気を使うだけで年間3トン以上のCO2を排出していることになる。森に例えると1トンのCO2の吸収には杉換算で71本になるらしい。沖縄には50万世帯が暮らしているから、電力消費だけで年間250万トン排出と試算され、それは杉 18,000本に相当、植林なら目安は1坪1本だから、18,000坪=6ヘクタール分の杉林に相当する。よく聞く東京ドームが5ヘクタールだから、沖縄の電力消費は毎年、それぐらいの杉林を伐採したことと同じというわけか。今更ながら、電気を使わない生活は考えられないが、沖縄は 99%が火力発電に頼っている。その発電を環境負荷の低い自然由来の再生エネルギーへ変える努力はできるが、沖縄の場合、高低差が無いので 水力は望めない。台風も多く風力は厳しい。ならば降り注ぐ太陽の恵みを受ける太陽光発電が現実的かも知れない。まずは年間の電気消費量をチェックして、太陽光パネルで補える蓄電池を用意できれば、家庭で消費する 一部でも「オフグリッド」できるかも知れない。小さいことから考え始めてみるか。

※参照:環境省調査結果 http://www.env.go.jp/earth/chosa1901-2.pdf

vol. 1 「オフグリッド話にお付き合いください」

米メリーランド州に浮かぶジェファーソン島の桟橋

 電力供給網から切り離した生活と聞けば、薄暗いランプの下で細々と暮らす山小屋暮らしをイメージしてしまう。暖を取るために火を熾し、仕留めた獣の毛皮を羽織り、木の実を採っているんじゃないかと想像が膨らむ。古来、日本の人里は山に囲まれた盆地に発達し、農業を通じて共同生活を余儀なくされた。山の向こうの出来事を話すことを四方山話(よもやま話)といい、人々の世間話に花を咲かせた。山を越えて都に繋がる道があり、神様は身近に居た。「昔々」で語り始め「めでたし、めでたし」で終わる。「聞いた話なんやけど」で始まり「知らんけど」で終わる関西人に似ている。いくつもの疑わしい話でさえ、いつしか真実味を帯び、語り継がれるうちに言い伝えとなり、まことしやかに語られる。スタートが「山の向こう」であり、語られるのが人里であるためか、その土地の川や山、岩や木といったものを神と崇める信仰の歴史に繋がることが多い。

 他方、エジソンが電気を発明したのは1847年だから、その前の世界はオフグリッドだったいえる。アメリカが「発見」されたのだって大航海時代の賜物だと思うと、15世紀から17世紀ということか。主にポルトガルやスペインによってアフリカ、アジア、アメリカへの大規模な航海が行われた頃、航海は遭難や難破、疫病や抗争によって船乗りの生存率は20%にも満たなかったらしい。遠征に成功すれば、莫大な富と名声を手に入れることが出来たというのだから、船の上は生存競争だったに違いない。かくして欧州には「海の向こう」の話が多く伝わり、それは未知の、時に夢のようなワクワクする話が多い。日本だって「黄金の国、ジパング」と伝わった。

 転じてこのコラムは「四方海話」と題した。筆者が生活の中で身近に感じるオフグリッドや、海の向こうのオフグリッドを垣間見たり、趣味人として海を意識した話をしたい。それは山小屋ではなく、水辺の桟橋で、快適なコテージで想いを馳せたい。