国を跨いできた経験から僕の処世術は、ちょっとばかり見たくれを気にしている。その土地に暮らす人たちに同化できれば良いが、ヨーロッパやアメリカにおけるアジア人はマイノリティだし、母語である日本語と現地のことばは余りにもかけ離れているし、そもそも文化的背景も大きく違うから否が応でも目立ってしまう。多くのローカルにとって、今まであまり接したことの無い日本人とあって、最初は客人扱いされ持て成してくれることは嬉しいものだが、いつまでもヨソモノ扱いもされたくない。第一印象は一秒で決まると言われるだけに、せめて相手に嫌悪感を与えないテクニックとして、身なりはちゃんとしておいた方が良いと心がけてきた。
ヨーロッパで仕事していた頃、事あるごとにドレスコードが求められた。時間や場所、それに与えられた機会に合った服装や所作というものがあるという教えだ。駐在前の日本では皆と同じ横並びのサラリーマンスタイルだった。
友人がイタリア人だった縁で ポルトガルではミラノのモンテナポレオーネ通りで見繕ってもらった伊達男の恰好をしていた。イギリスでは断然、背広姿でロンドンのセビル通りの仕立屋のスーツを纏い、磨き上げた厚底の黒革靴を履いていた。エグゼクティブとして仕事をするようになると、僕自身ではなく組織を疑われてはたまらない。所以、それっぽい恰好をするようになった。
メキシコに居た頃、シティのタワマンに住んでいた。付近は低層住宅がひしめき、日陰には野良犬が寝そべり、道端はどことなく臭ったが、週末に立つ近所の市場へ出掛けるのは好きだった。ほぼ寝間着と化した着古したTシャツにサンダル履きで出かけたある日、自宅に戻れず往生したことがある。マシンガンを携えた門番がIDを見せても疑いの目を向けゲートを通してくれず、わざわざ社用専属の運転手を呼んでマンションの車寄せへ付けてもらったことがある。治安の悪い地域では二重三重のセキュリティは大事なポイントで、住人であろうとそれなりの恰好でなければ憂き目に遭う。それが此処ハワイではアロハにサングラス、式典の際にはレイを纏う。神主ならぬ祈祷師が来て、まずは恵みに感謝することが習わしだ。正にところかわれば品変わるのだ。
転じて、オフグリッドにも矜持があるとすれば、見たくれも大事だと思う。山奥や無人島で暮らすのならまだしも、あくまで現代社会で生き、およそ文明的な暮らしに電気は不可欠だ。ソーラー発電は昭和の時代からあったが、未だに無骨な発電パネルと再処理できない蓄電池の組み合わせが多い。雨水を溜めたドラム缶を風呂代わりにするには少々、野趣に飛び過ぎている。ハワイは全ての電力の再エネへの置き換えに挑戦しているので全米一電気代が高いが、その分個人宅のソーラー発電は、テスラがつくった薄くて壁掛けの液晶テレビのような見たくれで隠れている。ある知人は、購入した住宅にソーラー発電が付いていたので、ハワイ電力への支払いが無いというから羨ましい。我が家はソーラーパネルは無いが地域全体が再エネ電力の供給網で、照明は全てLEDだし、雨水タンクは土中に埋めこまれ、自動ポンプで潅水に使われており、かなりエコ仕様になっている。シーリングファンは回転の方向で上下に風をコントロールできるし、雨季でも暖を取るほど寒くならないから、年がら年中アロハとTシャツ姿で過ごせる。なるほど理に適った格好というわけだ。
それ見よがしに「オフグリッドやってます」というのは格好が悪い。アロハにグラサンと聞けば昭和のチンピラを想起させるが、ハワイではこれがシュッとしているのだ。