vol. 26「海馬の扉をひらく香り」

きな粉をまぶして焼いた豚肉は、香ばしい風味でラム酒とよく合う

  先日訪れたタツノオトシゴの人工養殖施設で、何百万匹の孵化から数百匹しか育たず、しかも成魚はわずか数か月でその一生を終えることを知った。絶滅の危機に瀕しながらも、全米の水族館に届けられるその小さな存在のはかなさに、静かな感慨を覚えた。脳の記憶を司る「海馬」は、その姿がタツノオトシゴに似ていることから名付けられたという。記憶もまた、ふとした拍子に姿を現し、すぐに消えてしまう―どこか似ている。鼻先をかすめる微かな薫りは、大脳皮質を通らず海馬を直接揺さぶり、眠っていた時間を巻き戻す小さなタイムマシンとなる。仏文学者プルーストが紅茶に浸したマドレーヌから幼少期を想起したように、記憶の鍵は、意外にも日常の匂いに隠れている。

 たとえば僕の場合、ショッポの煙りは愛煙家だった父を、洗濯洗剤「ニュービーズ」の匂いは母を思い出させる。梅雨の湿気は旧い洋館だった実家を蘇らせ、焼きたてのフランスパンの香りは一瞬で幼少期へ連れ戻す。小学生のころ、フィギュアスケートの早朝練習の帰り、窯から出てくるパチパチと音のするフランスパンを買って帰っていた。家へ辿り着くまで待ちきれず、自転車で走りながら千切って食べる素朴なパンの味は、今でもあの街の風景とともに鮮明だ。その店のフランスから来た職人の下で修業した日本人職人たちは各地に散り、いまも新しい町でパンを焼いている。いつも引っ越すたびにあの味を探し、あちこちのパン屋を巡る。お蔭でこれまで住んだ町のパン屋には詳しい。

 ここオアフ島でも例外ではない。もともと小麦の採れない土地ゆえ、小麦粉の仕入れルートや原産地、職人のルーツによってパンの味は千差万別だ。一押しは島の反対側でベトナム系華僑の一日一度しか焼かないフランスパンだが、すぐに近所の人で売り切れてしまい、うまくタイミングが合わないと出会えない。わざわざ北海道産小麦を使った日本の食パンがあるかと思えば、凡そ似て非なるショクパンをつくるフィリピン系ハワイアンの店もある。最近のお気に入りはイタリア系移民が窯で焼く素朴なチャバッタで、薄くスライスしたモルタデッラハムを挟んでオリーブオイルを垂らして戴く。さらに店先で頬張るならピザの原型、フォカッチャも捨てがたい。職人たちのお国柄が香りとなり、ハワイに居ながらにして、これまで住んだ街に思いを馳せる。

 かつてハワイではネイティブが米を栽培していたという。箸を巧みに操りポケボウルをかきこむ姿は、まるで漁師町の漬け丼そのものだし、ムスビ(おむすび)は三角ではなく四面体で、海苔の上に塩気の強いスパムが鎮座する。農作業の合間に塩むすびを頬張った日本人移民の知恵だろう。未だ大手のチェーン店は上陸していないが、“松坂”の名を冠した牛丼屋があり、これが意外に侮れない。もっともコメはカリフォルニア産ジャポニカ米なので、艶やかで甘みを帯びた日本の短粒種だったら…と夢想していたら、最近できた米屋では玄米を日本から運び、好みの白米に精米してくれるのだから驚きだ。かくしてハワイでは米食文化が根付いている。

 イネ科の穀物といえば小麦、米、トウモロコシ、そしてサトウキビ。マメ科なら大豆、落花生、ソラマメと続く。ハワイで採れた大豆は枝豆、豆腐、醤油や味噌に加工され、さらに焙煎され「きな粉」として流通する。さて今宵は、ロコに教わった“豚肉のきな粉焼き”を試そう。相棒は近所で栽培されたサトウキビから造られ地元産ラム酒。この独特の香りが、またひとつ新たな記憶として刻まれていく。薫りと匂いが運ぶ記憶は、過去と現在、そしてこの島の“イマココ”を静かに結び直してくれる。地産地消の暮らしとは、そんな時間の循環も抱きしめる営みなのかもしれない。

投稿者: Taka

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20年暮らしてきた。メーカーに30数年勤め、縁あって今はハワイ在住。グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。 座右の銘は、Life is a journey, not a destination. (人生は旅、その過程を楽しもうじゃないか)