いまや鯨といえば観るものだが、給食に鯨肉が出ていた昭和世代にとっては、鯨は食糧として広く親しまれていた。さらに時代を遡ると、鯨油は暖房やランプ、産業機械に使用され、鯨骨はコルセットやスカートのフープ、傘、馬車の鞭などに幅広く利用されていた。ハワイには、ニューイングランドの捕鯨船との貿易で栄えた歴史があり、島々の肥沃な土地が捕鯨者たちの食糧や水を賄っていた。ハワイ語で水を「Wai」、湧き出る場所を「Kiki」といい、当時の捕鯨船は、積んだ木樽を小舟で運び真水を確保していた。その場所が現在のワイキキにあたる。さらに公共の近代水道の歴史も古く、1848年には既に井戸からポンプで揚水し、貯水池が地下に設置されていた。
20世紀に入ると、国防上の理由から太平洋艦隊が1907年に創設され、現在では艦艇約200隻、航空機約2000機、そして24万人規模を有する統合基地へと発展した。1941年、石油需給に窮した日本軍の奇襲攻撃を受けて沈没した戦艦アリゾナは今も真珠湾に眠っている。当時から空襲に弱い地上の燃料貯蔵タンクは地下に移され、近くの山に20基もの燃料タンクが埋設されてきた。その総量は二億五千万ガロンにのぼり、東京ドームに匹敵する容量である。最初のタンクが設置されてから八十年以上にわたり使用され、その間、海軍の艦船は大型化し、空軍基地への軍用規格のジェット燃料供給をも賄われてきたのだから凄まじい。
帯水層からの揚水による水道システムと真珠湾の統合基地への燃料供給システムは、地中深くに縦横無尽に張り巡らされている。「Red Hill」と呼ばれる火山島特有の赤い土で覆われた山腹の地中浅くに埋蔵された燃料タンク、深くに淡水帯水層が上下に存在する。タンクの老朽化による水源への影響は以前から指摘されていたが、遂に2021年11月、施設内の配管やバルブから燃料が漏れ出し大事な帯水層に浸潤してしまった。この水源から飲料水が供給される地域にはミリタリーハウスが建ち並び、多くの兵士やその家族、軍属が暮らしている。健康被害はたちまち拡がり、汚染物質が洗い流されるまで水道システムは使用禁止措置が取られた。飲料水は紙パックで供給され、9万人もの住民が一時避難を余儀なくされ、応急処置が終わったのは2022年3月だった。結果、立坑からの揚水も中止され、汚染された二か所の井戸は閉鎖された。埋設した燃料タンクからの燃料の汲み取り作業は今も続き、いずれ閉鎖されることが決まった。
僕はそのタイミングで空き家となったミリタリーハウスのひとつに入居した。今でも我が家には国防兵站局とハワイ州保健局の係官が定期的に水道のサンプル採取に訪れ、米海軍と環境保護庁による説明会が四半期ごとに実施されている。一度汚染された水は飲料水としては不向きで、シャワーやトイレ、庭の潅水には使用できるが、飲料水は配達に頼っている。夫婦二人で月120~150リットル程度を必要とし、無駄遣いをしなくなった。日本にいた頃、蛇口の水質を気にすることはほとんどなかった。この事故をきっかけに、水源に思いを馳せ、水の安全性とありがたさを改めて感じている。「流水は腐らず」と言うが、今回の事故は「覆水、盆に返らず」といったところか。