vol. 34 「行き止まりは終点ではない」

舟を動かしているのは閘門を開け閉めする人の手と、静かな水の流れである。

 今年、アメリカは建国250年を迎えた。マストに掲げられた星条旗とともにハワイ州旗のユニオンジャックが目に入る。 オーストラリアやニュージーランドの国旗にも似ているが、英国の植民地だったわけでも、英連邦に属したわけでもない。カメハメハ大王の時代から、英国への敬意、主要八島を表す横縞が使われてきたのが面白い。そして英国旗もまた、イングランド、アイルランド、スコットランドのユニオン(連合)であり、その歴史に思いを馳せる。

 20年ほど前の駐英当時、最も心を惹かれたのは、産業革命の遺産だった。世界初の鉄橋をはじめ、蒸気機関車は保存鉄道として今も煙を上げ、古い炭鉱跡では当時のトロッコが見物客を運ぶ。さらに赤煉瓦の工場や倉庫も、用途を変えながら使われ続けていた。本来の役目を終えた後も、単なる遺構として眠っているわけではない。当時を伝える「生きた化石」として、人々の暮らしの中に息づいている。そのひとつに石炭や鉄鉱石、原材料や製品を運ぶため、イギリス全土に張り巡らされた運河網がある。運河沿いには細い道がどこまでも続く。かつて馬が岸から舟を曳いていたトウパス(曳舟道)の名残である。水路には、高低差に応じて舟を上げ下げする閘門が連なり、石造りの橋が水面を跨いでいる。

 その運河を進むナロウボートで旅をした。ナロウボートとは、その名のとおり「細い舟」で、幅は約2メートル、長さは15メートルほど。水深の浅い水路を進み、低い橋をくぐるため、喫水や高さにも制約がある。そして閘門に収まる範囲に限られるため、平底で細長い独特の鉄舟になった。もともと、できるだけ多くの荷物を安定して運ぶ舟だった。 動力は馬から蒸気機関、そしてディーゼルエンジンへと変わった。今では舟を借りて自分たちで旅をすることができる。舟によっては薪ストーブがあり、屋根には太陽光パネルが並ぶ。小さな台所と寝台を備え、長く暮らす人もいる。速度は、歩くより少し速く、自転車より遅い。エンジンが付いたからといって、速くなったわけではない。家族が交代で舵を握り、閘門では舟を舫い、水門を開け、また舟へ戻る。 閘門に入ったら、その先の水門を開け、水位が変わるのを待つ。舫いを解いて、先へ進む。舟が閘門を出ると誰かが水門を閉める。その誰かは曳舟道を伝って舟へ戻る。狭い橋や水路では対向する舟を待ち、時には護岸へ寄せて水路を譲る。やることは次々にある。それでも不思議と慌ただしさはない。誰かに運んでもらう旅ではない。自分たちの手で少しずつ前へ進んでいるという実感が、一日をゆっくり流していた。

 何もかも自動化された現代から見れば、効率の悪いことばかりである。日暮れとともに、その日にたどり着いた場所で舟を舫い、そこで朝を迎える。目を覚ますと、水面から薄い霧が立ち上がっている。曳舟道の向こうでは、牧草地の牛がこちらを向いている。聞こえるのは、水門からこぼれ落ちる水音と、水鳥の羽ばたきだけだった。しばらくすると、遠くから電車の走る音が聞こえてきた。近代の象徴である鉄道が先を急いで走っていく。その一方で、僕たちの舟は250年も前に造られた水路をゆっくりと進む。だが、その運河は鉄道によって分断されているわけではない。水路橋やトンネルを通り、線路さえ越えて、その先へと続いている。そしてナロウボートは、引き返すことを前提にしない。一度船首を向けたら、よほどのことがない限り、その先へ進み続ける。水位が違えば閘門を上り下りし、谷では水路橋を渡り、山ではトンネルを抜ける。どうしても越えられなければ、舟そのものを水槽ごと持ち上げて先の水路へ繋ぐ。運河には、「ここまで」という考え方がない。水路を断ち切るのではなく、どうすればその先へ繋げられるかを考えて造られている。

 だからこそ、イギリスの人々は運河を、ただ「古いもの」として片づけなかった。物流という当初の役割を終えた後も、人が旅をし、暮らし、歩き、自然に触れる空間として使い続けている。考えてみれば、それは保存ではなく再生である。新しいものを造ることだけが、未来をつくることではない。役目を終えたものに新しい意味を見いだし、次の時代へ手渡していく。それもまた、未来をつくる営みなのだと思う。こうした産業遺産も、見方を変えれば立派なオフグリッドではないか。

  少しだけ時間を巻き戻し、その時代の速度に身を委ねてみる。一日に進む距離は、わずか20キロほどだった。バーミンガム郊外の運河で、時計を見るのさえ忘れる一週間だった。この速度だから見える景色がある。この手間だから感じられる時間がある。 急がない旅には、急いでは辿り着けない自分たちがいた。

投稿者: TAKA

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20数年暮らしてきた。 40年近いメーカー勤務をオフグリッド、 2022年ハワイ・オアフ島へ移住し、 グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。今は大学経営の一翼を担い、若い学生たちが世界で活躍できるよう導いている。